ブラジルサッカー
CBF(ブラジルサッカー連盟)にランキングされているプロチームは、2005年12月5日現在で367チームです。
ブラジルのプロサッカーは全国リーグ、州リーグ、ブラジルカップの3つの大会でチャンピオンを競います。全国リーグ(カンピオナート・ブラジレイロ)は、セリエA、セリエB、セリエCがあり、全国リーグに参加できるのは一部のクラブになります。州リーグは伝統ある大会で、特に強豪ひしめくサンパウロ州とリオデジャネイロ州の州リーグ戦に人気が集まっています。中でもリオデジャネイロ州のフラメンゴとフルミネンセ、サンパウロ州のサンパウロFC・コリンチャンス戦は「ナショナルダービー」と称され人気があります。ブラジル杯(コッパ・ド・ブラジル)は州リーグ戦の前年度の優勝チーム(一部の州では準優勝チームも含む)の32チームがホーム・アンド・アウェートーナメント(2試合のスコアを基にして勝敗を決する)で優勝を争います。
また、CBFクラブランキングによると1位はグレミオ、2位コリンチャンス、3位バスコ・ダ・ガマ、4位フラメンゴ、5位アトレチコ・ミネイロ、6位サンパウロFCとなっています。設立1年目のガロ・マリンガは発足1年目で78位にランキングされています。さらにCBFでは、全27州のリーグもランキングしています。1位サンパウロ州、2位リオデジャネイロ州、3位リオグランデドスル州、4位ミナスジェライス州、5位パラナ州、6位ペルナンブコ州となっています。 パラナ州リーグをみると、トップリーグのセリエゴールドをはじめ、セリエシルバー、セリエブロンズがあります。ガロ・マリンガは昨年セリエシルバーで優勝し、現在セリエゴールドで戦っています。設立1年目にして素晴らしい成果をあげたガロ・マリンガは全国的にも注目されています。
マリンガ出身三都主選手
日本代表として活躍する浦和レッズの三都主(アレサンドロ・ドス・サントス)選手。帰化する前はブラジル人であったことは有名ですが、三都主選手は1977年7月20日ブラジル・マリンガで生まれました。父のウィルソンもプロのサッカー選手で、グレミオ・マリンガなどで右サイドバックとして15年間プレーしました。1983年に現役を引退したあとは、仕事のかたわら少年サッカーチームのコーチを務めてきました。
ブラジル全国選手権に出場経験のあるウィルソンさんは、ペレが在籍していたサントスと対戦したこともあります。母親のマリアは元ハンドボールの選手。スポーツ好きの両親のもとで、三都主は育ちました。
12歳で、グレミオ・マリンガのジュニアチームに入った三都主は、16歳でトップチームに抜てきされ、練習試合に出場したときにブラジル選手のスカウトに来ていた明徳義塾高校(高知)の関係者の目にとまったといわれています。
日本に渡った三都主は、明徳義塾高校では1年目からレギュラーとして試合に出場しますが、全国選手権に出場することはできませんでした。高校を卒業し清水エスパルスに入団。1998年にレギュラーに定着すると99年には史上最年少22歳でJリーグ年間MVPに選ばれました。そして日本人としてのワールドカップ出場を見据え、2001年11月、日本人に帰化しました。ブラジルジャパンは、ブラジルと日本のかけはし、三都主選手を応援します。